わたしはこのまま一生ハットが似合わず死んでゆくことを決意した

ハットの紳士

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わたしはハットが好きである。とても美しい。

かねてから、格好良くハットをかぶって、颯爽と街を歩きたいと思っている。だが、未だその夢は叶っていない。

それどころか、同世代にも格好良いハットかぶりを、一度も見たことがない。

 

いや、ハットをかぶった同世代はよく見かけるのだが、皆どうにもしっくりきていないのだ。

少なくとも、わたしが思い描く「格好良いハットかぶり」には、どれも程遠い。なぜあんなにも、皆が似合っていないのだろうか。

 

年齢が足りない

気になったので、今一度、わたしが思い描く「格好良いハットかぶり」を考えてみた。

イメージは明確。上の画像の様な、シブイ着こなしだ。クールで知的、かつハードにボイルドされている。

なるほど。つまりわたしは「格好良く歳を重ねた中年が、あくまでさりげなく、格好良くかぶるハット」に、惹かれる様である。

 

理想がこれであるから、同世代がどんなにお洒落なハットをかぶっていても、まるでおもちゃに見えるのだ。

わたし自身、どれだけ色んなハットを試着してみても、全然しっくりこない。当然の結果である。

 

歳をとれば解決するのか

だが、残念ながらわたしが中年になっても、そう簡単には己のハット姿に満足できないだろう。

どういうことかって?それを今から説明するのだ、そう焦るな。

 

思い出してみてほしい。あなたが中学生のころ、高校生はずいぶんと大人に見えなかっただろうか。高校生になってみれば、二十歳は大人に。二十歳になれば、三十歳は大人に見えた。

そう、実際に自分がその歳になったとき、「かつて思い描いた理想のそれ」とは、誰しも程遠いのだ。

となると、わたしがただ歳をとれば「理想の中年ハット姿」になれる、という可能性は低いだろう。絶望である。

 

宮﨑駿ですらそう思う

昨年、アカデミー名誉賞を受賞した際に、宮さん(宮﨑駿氏)がこんなことを言っていた。

今日、94歳とか87歳だとか、そんな人ばっかりに出会ったもんですから、ホントに(自分はまだ)小僧だなと思ってね。僕は73(歳)なんですけども、恐れ入りましたっていう、ホントにそういう感じで。

 

あの宮﨑駿ですら、まだそんな気持ちになるかと驚いたものだ。なんともストイックな方である。

宮さんにこう言われてしまっては、わたしなんぞが年齢どうこうと、発言するのもおこがましい。四十になっても五十になろうとも、「わたしは小僧である」と、似合わぬハットをかぶって生きてゆこう。そう決心した。

棺桶に入るころには、少しは似合う人間になっているだろうか。お気に入りのハットと一緒に、灰になりたいものである。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)