ライフスタイルって、神棚に祀って拝むものじゃないと思う

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ご機嫌よう、煤渡(@suswatari88)です。

「ライフスタイル」ってよく聞きますよね。素敵なライフスタイル、丁寧なライフスタイル、これからのライフスタイル...。いかん、ゲシュタルトが崩れ落ちた。

巷では、とにかく色んな「ライフスタイル」が提案・紹介されています。ビジネスコンテンツとしてのものもあれば、そうではなさそうな個人ブログによるものも。

でも時々、なんとも言えない違和感を覚えることがあるんです。それが何なのか考えていたんですが、「ライフスタイル」を高尚なものとして崇め過ぎていることが、その違和感の原因なのかなと。

 

好き嫌いは関係ない

最初の内は、そこで紹介されている「ライフスタイル」が自分に合うかどうか、つまりそれを自分が好きになれるかどうかが、その違和感に繋がっているのだと思っていました。

ですが、どうやら違った様です。あまり共感はできない「ライフスタイル」が提示されていたとしても、その違和感が生じない場面がありました。

そもそも「ライフスタイル」なんてものは千差万別ですから、自分の価値観と違ったところで「ふーん」ぐらいにしか思いません。

 

過剰に「憧れ」させるものに対する違和感

それよりも、「ライフスタイル」に過剰な憧れを抱かせる様な、そんな作りのメディアだったり商品だったり。そういったものと出会った時に、違和感が生じていることがわかりました。

一見そこで提示されている「ライフスタイル」自体は自分好みに見えても、その紹介のやり方、提案のやり方が、何か違う気がする。

その違和感はやがて、「ライフスタイル」に憧れるという消費行動自体に対する違和感へと繋がっていきました。「ライフスタイル」って一体何なんでしょうか。皆なににお金を払ってるんだろう。

 

ライフスタイルは死ぬまでずっと付いて回るもの

軽く調べてみると、「ライフスタイル」は以下の様に説明されていました。

生活の様式・営み方。また、人生観・価値観・習慣などを含めた個人の生き方。

コトバンクより −

当たり前ですが、「ライフスタイル=生き方」なんですよね。

「生き方」なんです。嫌だろうがなんだろうが、こればっかりは生きてる以上死ぬまでずっと、24時間365日、くっついて回るものなんです。

 

以前とあるメディアが「丁寧な暮らしってこんな風」とかいって軽く炎上してましたが、あれもきっと、そこで紹介されていた「ライフスタイル」自体が悪かった訳じゃないんだと思います。

スピーディーな暮らしだろうが、丁寧な暮らしだろうが、ITバリバリだろうが、田舎で自然万歳だろうが、それは個人の自由だし唯一の正解なんかある訳ないんです。

そうじゃなくて、「ライフスタイル」ってものを紹介したり、提案しようとするなら、それって「生き方」の話だよってことを、もう少しきちんと考えてからコンテンツを作らなければいけない。きっとそこが欠落した時に、批判が集まるんじゃないかなと。

 

おわりに

「生き方」の話な訳だから、どう頑張ったって素敵な部分も、醜い部分もあるだろうと思うんです。綺麗な部分もあれば、泥臭い部分もある。

「生き方」の話ってことは、結局「人間」の話ですよね。そんな「素敵」と「綺麗」だけで100%構成されてる人間なんて、いるはず無いじゃないですか。

そこを忘れたり、もしくは意図的に見ないフリをして、「素敵」や「綺麗」だけを前面に打ち出して過剰な「憧れ」を煽る。こういった、「ライフスタイル」を崇める様なやり方が、違和感の原因だった様です。

 

ただ、だから諦めるってことじゃなくて、それを踏まえた上で、けれども自分の思う素敵な暮らし・ライフスタイルを手に入れたいと。

そういうスタンスじゃないと、作る側・提供する側としてはコンテンツに強度が無さすぎる、薄っぺらいものになる気がします。消費者側としても、この部分を意識していないと、薄っぺらく「素敵で綺麗な」ライフスタイルを提示してれば金稼げるだろう、と思ってる人たちに騙され続けてしまう。

「ライフスタイル」に限らずですが、実体が無くて雰囲気でごまかせそうなものには、いつでも気をつけていたいと思います。作り手としても、消費者としても。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!