情報の「体積」はあきらめて、「質量」を大切にしたい

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ご機嫌よう、煤渡(@suswatari88)です。

あなたもきっと、普段から大量の情報を処理してますよね。わたしもほぼ毎日、いくつものブログやサイトをチェックしてます。

ニュースアプリは苦手であまり使ってこなかったんですが、新設された「オピニオンチャンネル」が気になるので、最近はSmartNewsだけ使ってます。

ただ、インプット元はかなり絞っているつもりなんですが、それでも結構な情報量です。TwitterやFacebookでも気になる情報は流れてくるし、書籍も読みたいものが溜まってるので、それらも含めるととても追いきれてない。

情報が氾濫していると言われますが、意識して情報を集めている人ほど特に、皆そう感じているんだろうと思います。本当に、多すぎますよね情報が。どれも無視できなさそうなものばかりだからこそ、タチが悪いというか。

 

しかも、やりだすと止まるのが怖くて情報収集をやめられない。けれども毎日そんな大量には処理できないから、ちゃんと読めてないブックマークが積み重なっていく

正直最近、このサイクルに疲れてきています。それでも読みたいブログ、気になる情報は毎日やってくる。困ったものです。

 

処理する情報の数=「体積」をあきらめるのが怖い

もう少し詳しく、なにが怖いのかというと、日々処理する情報の数をあきらめるのが怖いんですよね。

大量の情報を取りにいって処理する、という作業を一度経験すると、ちょっとした麻薬の様に止められなくなる。

情報を取りにいけば当然いくつかの有益な情報に出会うわけで、それを一度経験すると「また取りにいかないと、次の有益な情報を取り逃がすのではないか」という不安に駆られるんです。だから、日々膨大な情報を処理しようとして取りにいく。

 

けれども、これをやっている内に「膨大な数の情報をチェックする」という作業自体を止められなくなる。そして、チェックした情報の数によって多少満足したり、安心してしまっている自分に気付くことがあるんです。

言うなれば、処理する情報の「体積」に縛られている様な感覚。その「体積」を大きくする・大きいまま保つことに気を取られて、結局は疲弊していってしまう。

 

本当は情報の「質量」を大切にしたい

けれどもわたしは情報を処理するにあたって、本当に重視したいのはその「質量」なんです。

同じ「体積」のものでも、その「質量」が違うと重さが違ってくるじゃないですか。何というか、そんな感覚です。文系の人ついてこれてますか? あと本気な理系の人、本気のツッコミはやめてください。

これ、情報の「密度」と言ってもよかったんですが、それだとちょっと違うんですよね。完全にわたしの感覚の話なんですが、ちょっと説明します。

 

情報の「密度」というと、その情報自体が持っているものなのかなと。いわゆる、情報の「質」なんて言われるものに近いのかもしれません。

ただ、ここで書いているのは情報の「処理」についての話。情報のインプットと、それに付随するアウトプットの作業についてなんです。

それをふまえて、情報の「質量」とはなんぞやと。そこには情報自体がもつ「密度=質」の他に、情報の受け手による処理作業の「質」も関わってくる

つまり、情報自体の質を重視するだけじゃなく、それをできるだけ質の高いインプットで取り込んで、できるだけ質の高いアウトプットを通して残しておきたいなと。本当は自分の糧にすべき情報をもっと厳選した上で、その情報の「質量」を大切にして処理したい。そう思ってます。

 

おわりに

「情報の量より質が大事」なんてよく聞く気がしますが、結局はそれを自分がどう咀嚼するか。日々処理する情報の数に満足するのもマズイけど、情報の質が高いからといって満足してしまうのもマズイ。

いくら質の高い情報でも、その処理方法が雑だと、自分の中に入ってくる頃には全然劣化してしまうんじゃないかなと。

情報の「体積」に縛られないで、「密度」だけを見るんじゃなく「質量」を高める。結局そのためには、愚直に丁寧に情報を手に取る、ぐらいのことしかわたしは思いつきません。

あなたは普段どんな風に、なにを意識して情報を処理しているでしょうか。面白い話があれば、是非教えてください。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!