「コミュ障」って、実は結構難しいのかも

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ご機嫌よう、煤渡(@suswatari88)です。

「コミュ障」って、よく聞きますよね。

結構ラフに使われがちなこの言葉・カテゴライズですが、実は結構難しいよなあと思うんです。

 

明らかな“障害”のときは、案外使われない

この「コミュ障」という言葉、その障害があからさまなときは、案外使われない印象なんですよね。

例えば疾病・障害として「吃音」を持っている人、よくどもったりしてしまう人に対しては、あまり「コミュ障」とは言わない気がします。

それよりも、漠然と「なんか話が噛み合わない」というときや、会話中になんとなく挙動が不審だったりするときに、コミュ障だと言われる傾向がある。

ただ、そうなるとこの「コミュ障」の定義というか、考え方が難しくなってくるなと。

 

「コミュ障だと言う奴がコミュ障」現象が起きているかも

というのも、もしかするとその人(=コミュ障認定された人)が、話が噛み合わなかったり挙動不審になったりするのは、あなたと話しているときだけかもしれない

すいません、便宜上あなたと言いましたが、あなた=コミュ障認定した側の人と考えてください。

本当に話が噛み合ってなかったのなら、相手もあなたのことを「コミュ障だ」と思っている可能性すらありますよね。

挙動にしても、相手を挙動不審にさせるなにかが、あなたにあったのかもしれない。本人は無自覚なちょっとした動作や目の動き、話し方などに、案外そういった影響力が宿ることもあります。

 

ざっくり言うと、そのコミュニケーションが円滑に進まなかったのには、あなたにも原因があるかもしれないということです。

別にどちらに責任が、という話をしたいのではありません。こういった可能性を考えずに一方的に相手を「コミュ障」認定するのは、ちょっと安直すぎるのかなと、そう思うんです。

 

「コミュ力が高い人」というレッテルの本当の意味

ところで、世の中には「コミュ力が高い」と言われる人たちもいます。

さっきの話をふまえると、この「コミュ力高い」というカテゴライズも、結構安易に使われすぎているのではないかと。

 

「コミュ力高い」と聞いたときにイメージしがちなタイプの人、というのは、ある程度共通認識としてあると思います。ある意味ステレオタイプですよね。

ですが、そういった「ステレオタイプな“コミュ力高い系”の人」のことを、ちょっと苦手に思っている人種も全然いると思うんです。そして、少し乱暴に言うなら、そういう人種にとってはこの“コミュ力高い系”の人だって「コミュ障」になる。

むしろ、別に「コミュ力高いなー」って印象は与えない人なのに、気付くとどんどん友達が増えている。例えばそんなタイプの方が、本当の「コミュニケーション能力の高い人」に近いのかもしれないですね。

 

おわりに

わたしは面と向かって言われたことないんですが、「コミュ障」って結構重たいと思うんですよ。言われる方は。軽い気持ちでその言葉を他人に投げる人の方が、よっぽどコミュ障なんかもしれません。

もし「コミュ障」と言われてしんどそうな人がいたら、相手の方がよっぽどだよって教えてあげてください。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!