「才能がない」なんて、あなたにどうしてわかるのか

「自分には才能がない」という言葉を、あなたも何度か聞いたことがあるだろう。もしかすると、自分でも言ったり、そう判断したことがあるかもしれない。

だがここでハッキリさせておく。あなたにそんなこと、わかるはずがない

わかるはずもないのに、どうして言ってしまうのだろうか。それはただの言い訳である。以下で詳しく説明しよう。

 

全く才能のない奴に「才能がない」なんて判断できる訳ない

まずは、冒頭で「そんなこと、わかるはずない」と言った、その理由について説明しよう。

仮に、あなたに本当に才能が無かったとしたら。本当に才能が無い人の中に、果たして「才能がない」と判断できる力が備わっているだろうか。あるはずがないだろう。ということは、このときあなたの「才能がない」という判断は誤っていることになる。

では逆に、その「才能がない」という判断が正しいとしたら。その場合、少なくとも才能の有無を判断できるぐらいの才能は、あなたの中に存在すると言える。それはごく少量かもしれないが、才能がゼロではないことは証明される。「自分には才能が全くない」という意味の判断だったとするなら、矛盾が生じ結果としてこれは嘘になる。

もうわかっただろう。いずれにせよ、「自分には才能がない」という発言・判断が正しいことなど、ほぼ存在しないのである。

 

なお、"ほぼ"存在しないと言ったのは、例えば数十年間それを本気でやった人間や、一度プロの現場に立つまでいった人間が言う「才能がない」については、真実味を帯びる可能性があるからだ。

その人たちが言うそれは、「(プロの世界で通用するほどの)才能が自分にはない」という意味であり、経験にも裏打ちされているので嘘にはならない。

つまり、「才能がない」と正しく判断することは、本来そのぐらいのレベル・鍛錬が必要になるものだと言えるだろう。

 

誤った「才能がない」判断は、努力不足への言い訳

にもかかわらず、どうしてあなたは「才能がない」と判断してしまうのか。その正体は、己の努力不足を認めないための言い訳である。

「才能がない」と判断するのは、なにかに挫折したり、なにかを成し遂げられなかったりした瞬間だ。ただでさえショックを受けているのだから、せめて「自分の努力が足りなかった」ことからは目を背け、「自分には才能がなかった」と判断し、才能不足のせいにしてしまった方がよっぽど楽だろう。

 

だが、考えてみてほしい。なにも成し遂げていない人の「自分には才能がない」発言というのは、外からは滑稽にしか見えない。

まだなにもできていない奴が、なに言ってんだ。言い訳してる暇があったら動け。もっと努力をしろ。

 

おわりに

実は今回の記事、少し前の自分に向けたものである。それらしい理論を展開して、なにかにつけて言い訳していた自分への手紙だ。

もうそんな、時間の無駄遣いはやめようではないか。頭でっかち、考えすぎる奴ほど、そうやってごちゃごちゃ言い訳したがるのだ。せっかく大量にインプットして思考をこねくり回しているのだから、それを行動に移すべきだろう。学者になりたい訳でもあるまいし。

失礼、あなたを個人的な手紙につき合わせてしまった。せっかくここまで読んでいただいたのだ、この私書が少しはあなたの役に立てば幸いである。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)