会いたい人にすぐには会いたくない、という話

ブログを始めてから、会ってみたいと思う人が増えた。

細かく言うとブログを始める前から気になっていた人たちなのだが、ことブログ界隈の人に関しては、自分もブログを始めたことでTwitterなどで繋がることができた。ありがたいことである。

また、繋がっていない人でもこのブログが名刺代わりになるので、会おうと思えば以前よりコンタクトしやすい。

そんな訳で、わたしが会ってみたいと思っている人たちのほとんどは、その意思を伝えれば会ってくれるだろう。だが、わたしはその人たちに、あまりすぐには会いたくないと思っている。

 

優れた相槌を打つために

ジブリの鈴木さんが、自身の著書で「相槌」について語っている。

 

高畑・宮崎の二人との出会いは強烈でした。当然ながら、もっとつきあいたいと思う。そのためには、なんとしても彼らと教養を共有したいと思ったのです。話ができないのでは悔しいですから。

教養の共有の程度は相槌の打ち方に現れますから。(中略)

相槌を打つには、もとになる教養が必要、ベースが必要、データが必要です。

これを読んで、自分が会いたい人にすぐ会いたくないと思うのは、相槌を打つための準備が必要だと感じているからだと気付かされた。

 

インタビューしたい訳ではない

わたしが気になる、会ってみたい人たちには、それぞれの考えている事・やっている事・やりたい事がある。

当然、わたしもそこに興味を持ち、会ってみたいと思っている。そして、会う前にそれを自分なりに咀嚼してから、会って話をしたいのだ。

 

アポを取り、会って「あなたに興味があります、さあ全部話してください」では、安いインタビューと変わらない。それがやりたい訳ではないのである。

相手の中にあるネタを、自分なりに咀嚼したからこそ出せる相槌や質問。そういったものを投げかけてみたい。

わたしが会ってみたい人たちに対しては、中にはブログ開始前から「すごい、面白い」と、少なからず憧れの様なものを抱いている相手もいる。相槌の準備なくそういった人に会ってしまうのは、ともすれば芸能人に対する「会ってみたい」と同種のものになりかねない。それではつまらない。

 

おわりに

以前、ブログで繋がったよっしー君と会って話をした。この時も、仮にもう少し準備があれば、もっと深い話ができたのだろう。

参照:ブログ「よしオト。」のよっしー君に会ってきた

 

だがこの時は、「ブログ繋がりの人と会ってみる」という事自体が目的だったので、おかげでその目的は果たせた。わたしは出不精で、またネットで知り合った人とリアルで会うという経験もなかったため、その壁を壊す意味もあり、東京に来るというよっしー君に直前でアポを取ったのだ。

結果その壁が壊れ、この記事で言う様なことに、考えが及ぶに至ったのである。

 

とはいえ他人のネタを、自分だけではそう簡単に咀嚼できないのも事実。いい頃合いで、実際に会って話をさせてもらい、そのネタに対する理解を深めることも必要だろう。その踏ん切りがつきづらいのが、わたしの課題だ。

なにやら「会いたい、会えない」と西野カナみたいな記事になってしまったが、これだけ会ってみたい人がいるのは楽しく、幸運なことである。いずれお会いする際には、皆様どうぞよろしくお願いします。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)