2005年の世界陸上で銅メダルをとった、為末大の心理戦

2005年8月9日、ヘルシンキ世界陸上。為末大さんが、男子400mハードルで銅メダルを獲得した。

五輪・世界陸上を通して日本人史上3つめのメダル。テレビの前で、大興奮したのをよく覚えている。

為末さんは2001年の世界陸上でも、同種目で銅メダル。だが、この2005年の走りには、博打ともいえる心理戦があったのだ。ご紹介しよう。

 

400mH走とは

競技場のトラック一周が400m。そこに10台のハードルが設置されている。

400mという距離、わたしも一度試合で走った経験があるが、後半は腕も脚もまったく上がらなくなる。とても過酷な距離だ。

よって、短距離には分類されるものの、ほぼ全力疾走の100mと200mに比べて、わずかにペース配分が求められる。

 

では為末さんは、なぜそんな過酷な距離のしかもハードル走を選ぶのか。その方が勝てるからである。

為末さんのハードル技術は、400mHのなかで世界トップと言っていい。そのため、ハードルがあった方が世界で戦える。

海外の有力選手たちに「それぞれのハードル間を何歩で走っているか?」と聞いても、お前は何を言っているんだと怪訝な顔をされたという。為末さんほどの、緻密に計算されたハードル技術を海外選手は持っていないのだ。

 

2005年ヘルシンキの決勝は豪雨

さて、話をここに戻す。決勝当日、天候は豪雨だった。競技の開始時間も変更になり、選手達には動揺が見えた。なにしろ決勝を走る8名のうち、4名が25歳以下。若手の多い決勝だった。

雨は身体を冷やし、ウォーミングアップの計算がずれる。当然、トラックも濡れるためスリップの危険もある。ハードル走なら尚更だろう。

実際に為末さんは、アップの時間をギリギリまで遅らせた。レース前から心理戦は始まっていたのだ。

他選手の動揺をみて、為末さんは「メダルの可能性が1〜2%ぐらい出てきた」と思ったという。

 

また、決勝で為末さんは外側の第7レーン。必然的にほとんどの選手が、為末さんの背中を追いながらレースを組み立てる格好になる。

そしてレース直前。時間を変更したにもかかわらず、ヘルシンキにはまたもや雨が降り出していた

 

レースを支配した為末

雨の中の決勝。焦りからか、一度フライングが発生。ここで為末さんは、若手選手の顔が曇るのを見た。この雨をラッキーだと思っているのは、自分だけだと確信。メダルの可能性が10%ぐらいには上がったと語る。

いよいよレースがスタートし、わたしは自分の目を疑った。為末さんがトップで走り出したのだ。明らかに飛ばしすぎだった。

これも為末さんの作戦だった。自分を追いかけながら走る選手達に対して、あえて異常なスピードでスタートを切ることで、さらなる動揺を誘った

 

為末さんの作戦に巻き込まれたか、それとも雨に狂わされたのか。優勝の最有力候補フェリックス・サンチェスが、1台目のハードルで脚を痛めて途中棄権。

残る有力候補はバージョン・ジャクソン。同じくアメリカの、ジェームス・カーターも好走を見せる。それでも、300mまでを為末はトップで走った

残り100m。当然ながら、為末のスピードが落ちる。前述のアメリカ2選手に抜かれ、カーロン・クレメントと3位争い。ほぼ同時にゴールしたものの、100分の8秒差で為末が銅メダルを獲得した。

 

作戦が生んだ100分の8秒

 

映像を観るとわかりやすいが、最後のゴールに、為末さんの作戦勝ちがよく表れている。

陸上競技では、選手の胸がゴールラインを割った瞬間がゴールとされている。よって、選手たちは皆、最後は胸を突き出しながらゴールする。

見ての通り、為末さんも思い切り胸を突き出し、そのまま倒れ込んでいる。一方で、メダルを争ったカーロンはアゴが完全に上がり、胸を突き出す余裕もない

為末さんの作戦に翻弄され、スタミナ切れを起こしたのだ。まだ19歳のカーロンには、このコンディションの中で自分の走りをする力量がなかった。

普通に考えれば、この為末さんの走りはベストではない。だが、この2005年ヘルシンキ決勝においては、この走りでなければメダルを獲れなかったのである。

 

おわりに

最後の競り合いについて、為末さんは「普通なら勝てない展開だったが、アドレナリンが出た。サムライ魂です」と語っている。

テレビで見る為末さんの穏やかな表情、口調からは想像できないだろう。上の映像でも、全く表情が違って見える。

侍・為末大の凄さが、魅力が伝わっただろうか。陸上競技も、案外面白いのである。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)