【総括その2】ブログを書くということ、ブログの可能性

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ご機嫌よう、煤渡(@suswatari88)です。

師走なこともあり、今年の元日から始めたこのブログを振り返ってみています。

【総括その1】わたしが最初このブログでやりたかったこと

今回は、言わずもがなブログの中心である「書く」ということについて。もっといえば、個人ブログで書くということと、その可能性について。そんな視点から振り返って、思うところを書いていきます。

 

必ず出会う「ブログ論」「Webライティング論」

このブログを始めるにあたり、昨年の10〜12月ごろに集中して、個人ブログの運営に関するいろんな情報を収集しました。

いわゆる「ブロガー」なんて呼ばれる人たちは皆、その「日記・遊びレベルではないブログ」を始めるとき、もしくは始めてから、おそらくほぼ全員がそういった情報を調べて目を通しているのではないかと。

そこで必ずと言っていいほど高確率で、多くの数に出会うのが「ブログ論」「Webライティング論」といった情報です。わたしもかなりの数に出会いました。

 

Webライティング論とは、その名の通りWebにおけるライティングとはどうあるべきか、といったもの。主にSEO対策、検索に強いライティングとはなんぞや、といった内容のものが多数を占めます。

ブログ論については、Webライティング論の基礎的な部分も含みながら、目標地点を「ブログで飯を食う=ブログ飯」とした様々な方法論・精神論といったところでしょうか。

そこはわたしがまったく知らない世界でした。面白い。体系的でわかりやすい。Webライティング・ブログ論を伝える記事ですから、面白くてわかりやすいのは当たり前です。魅了されるのに、そう時間はかかりませんでした。

ブログを始める頃には、「それらの理論だけが正解なんだ」という思い込みに支配されていました。1記事もまだ書いていない青二才のくせに。

 

最初から違和感があった

そのまま思い込みを追い風にして突っ走っていたとしたら、今頃この場所にはたどり着いていなかったのだろうと思います。

突っ走り始めるはずだったわたしですが、最初からずっとぼんやり抱えている違和感がありました。

 

なぜ違和感があったのかというと、hocori house.を始めた目的が「ブログ飯」ではなかったからです。広い意味でいえばブログで飯を食うことも目的だったと言えますが、ブログから直接発生する収益の向上とそのための無差別な集客は、わたしの目指すところではなかったんですよね。

というのも、わたしはシンガーソングライターとして活動しておりまして。ブログ開設当初に目指した先は、結局はその音楽活動へ繋げることでした。ざっくりいえば、ブログを通して自分のファンを増やしたかった

 

Webライティングもブログ飯も、出会ったときは素晴らしいと思ったし今でもそう思います。本当に面白い。

ですが、自分がこのブログでやりたいこと・やるべきことは果たしてそれなのだろうか。そう考えるとどうしても違和感は拭えず、ブログ論的には正解なはずの記事を書こうにも手が止まり、闇に葬ってきたネタも数知れず。そうやって今日までやってきました。

 

ブログ飯を突き詰めることと、ファンをつけるということ

ところで、どうしてブログ飯を突き詰めることと、自分のファンを増やすということが相反するのか

肌感覚で「なんか違う気がする」と思ってきた部分ですが、この機会にすこし踏み込んで考えてみました。

「ブログ飯」自体がちょっと古くなっている

ひとつはこれかと。わたしがブログを始めようとリサーチした2014年時点で、かなりの数の「ブログ論」「ブログ飯論」が見当たりました。

同時に、どうやらそれらの「ブログ論」に沿って作られたらしい、いってしまえば似たようなブログもすでに多数存在していました。

さらに、これは気付いたとき驚いたのですが、そういった似たり寄ったりなブログがどんぐりの背比べをしているその頭上に、とっくにブログ飯を成功させて次のステップを見据えている「先行者」がいくつか存在していたんです。

 

なるほど。つまりそういった先行者の事例を紐解いたものが「ブログ論」「ブログ飯論」なのだなあと。え? じゃあ今からそれ初めても遅いんじゃないか?

やってやれないことはないけど、教科書通りにやっても「その他大勢の後続者」になるだけで、到底ファンを増やすための最良の手段だとは思えない。そう感じてしまったのだと思います。

読者が前のめりにならない

もうひとつがこれ。ブログ論、Webライティング論における「優れた記事・ライティング」であればあるほど、読み手が受け身になってしまうと感じたんです。

記事の収益性・読みやすさ。情報の有益性・わかりやすさ。検索への強さ。抑えるべきポイントがハッキリしている分、それをクリアしただけの「優れた記事」になればなるほど個性が消えやすい、という皮肉があります。

だから皆、記事の最初に「どうも◯◯です」と署名してみたり、記事を締めるオリジナルの決まり文句を決めたりして、そういった部分で差別化を図り、筆者を認識してもらおうとする。ところがその手法すら、いまではテンプレ化してしまっています。

 

また、その記事が有益な情報を発信しており、なおかつわかりやすく書いてあった場合、読者はその情報を取りこぼしなく受信することに集中しますよね。

そうなると、筆者が誰だとかどんな人物だとか、そんなことを気にしている余裕は無い。これではファン獲得には繋がらないだろうなと。

 

ブログの可能性を殺すな

おそらく先行者たちが収益を伸ばし、多数の固定読者・ファンを獲得できたのは、ブログ論的なただの日記じゃない個人ブログ自体がまだ珍しかったり、ブログで飯を食うということ自体に目新しさがあったことも大きいと思うんです。

いうなれば、「ブログ論」自体が新鮮なコンテンツだったんですよね。

今でもブログ論にはまだ集客力があるみたいですが、あまりにも飽和状態です。初心者ブログも中堅ブログも、ブログ論を語ります。それでも結局、本当に価値があるのは先行者たちのブログ論ぐらいじゃないですか。他は正直、どれを読んでも大差ない。

 

ブログ論・ブログ飯はもう古いコンテンツなんです。自覚がないブロガーは危ないと思います、わたしも気をつけたい。

最近は成長率が高いブログほど、案外「ブログ専業になるつもりはない」とか「大学出たら就職する」とか言ってませんか。古いコンテンツにしがみついても、先は長くないんでしょう。

プロブロガーのイケダハヤトさんも「ブロガーよ未来を語れ」と言い、はあちゅうさんは有料マガジンに活動の場を移している様に見えます。お二人とも、有料サロンにも注力してますよね。

 

そもそも、ブログ飯はブログが持つ可能性の一つでしかないのかなと。ブログ飯以外の文脈で語っても、個人ブログにはまだいくらでも可能性があると思うんです。

ブログ飯の成功例があまりにも派手で魅力的だったため、「ブログの可能性=ブログ飯」かの様に語られてしまって、それが定着してしまった。ちょっと残念というか、もったいない気がします。

 

おわりに

こうやって、今年一年ずっと「個人ブログにおける“書く”ということ」「個人ブログの可能性」なんかについて、ああでもないこうでもないと考え続けてきました。多分来年も考え続けるんでしょうね。

考え続けていた話題ではありますが、今になって書こうと思ったのは、最近そういった「ブログ論・ブログ飯」とは無縁の面白いブログに出会う機会が増えたからです。あ、なんだ。やっぱり他にも面白いのあるじゃんと。

 

Webメディアの界隈でも、今年は「PV至上主義ってそろそろどうなのよ」といった空気がありました。

昨年までどうだったか知りませんが、たかだか個人ブログ1年目のわたしですら、ひしひしと感じましたからね。個人ブログにおいても、同じ様なことが言えるのではないかと。

noteなんかも最近面白いんです、イラスト系ばっかり注目されるのが悔しい。テキストもいいのあるんですよね。

長くなったのでこの辺にして、次回に「じゃあ今後どうしていきたいかな」といった話をまとめてみたいと思ってます。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

【総括その1】わたしが最初このブログでやりたかったこと

【総括その3】さて、来年はなにをやろうかな