音楽人なら、吟遊詩人「高田渡」を知っておいた方がいい

ギター

photo credit: jam sessions via photopin (license)

10年前まで、日本には吟遊詩人がいた。高田渡という男である。

フォークを歌い続けた人であるが、ジャンルの垣根なく、その生き様に感銘を受けたミュージシャンも多い。

音楽に携わる人間は、高田渡のことを知っておいた方がいいだろう。好き嫌いは別にしても、この人を全く知らない様では少々残念である。

安心したまえ。今回わたしが特別に、要点だけをまとめた。これを読めば、とりあえず知ったかぶりできるだろう。

 

『自衛隊に入ろう』で有名に

まず何と言っても、この曲なしに高田渡は語れない。だが、高田渡好きに向かって「ああ、自衛隊に入ろうの人でしょ?」というと、すぐさま知ったかぶりがバレるので注意が必要だ。

1968年、当時19歳の彼は第3回関西フォークキャンプでこれを歌い、聴衆に衝撃を与えた。これがきっかけで注目を集め、レコードデビューに至る。また同年、TBSのニュース番組にも出演し、同曲を歌ったという。すごい時代である。

自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう

自衛隊に入ればこの世は天国

男の中の男はみんな

自衛隊に入って花と散る

 

ご覧の通り風刺と皮肉にあふれた楽曲なのだが、ニュース番組出演後にあろうことか防衛庁から「ぜひウチのPR曲に使わせてほしい」とオファーがあって困惑したとのこと。

また、本人は数年でこの曲を封印するのだが、その衝撃はやはりかなりのものだった様だ。

ところが、封印して二十年以上も経ったころ、コンサートであちこち回っていると、「あの歌を聞いて自衛隊に入りました」という話を行く先々で耳にするのである。歌詞を真に受けたほうが悪いと思うのだが、ちょっとは僕にも責任があるのだろうか。

- 「バーボン・ストリート・ブルース(高田渡著)」より -

入隊したものの、宴会で同曲を歌い、すぐさま除隊させられた人もいたという。

 

完全オリジナルの曲はほとんど無い

高田渡の楽曲は、そのほとんどがオリジナルでない。

歌詞は山之内貘、金子光晴らの現代詩で、それをアメリカの民謡やフォークソングにのせて、全く別物の曲に仕立て上げるのが渡さんのスタイルだった。「自衛隊〜」も、曲はマルビナ・レイノルズの『Andorra』という曲を元にしている。

彼らが書いたものと比べると、僕の詩なんて及びもつかないと思った。だったら彼らの詩に曲をつけた方がよっぽどいいだろうということで、現代詩を採用するようになったのだ。

- 「バーボン・ストリート・ブルース(高田渡著)」より -

父親が詩人だったこともあり、自身も小学生のころからノートに詩を書き連ねていたという。だからこそ、渡さんなりの哲学があって、結果自分の詩は使わなかったということである。

 

ライブ中に寝る

高田渡はライブ中にも酒をガンガン飲むそして時々寝る

なんだその顔は。なに、さすがにそれはないだろうって?喜べ、これは実話だ。

 

その後の演奏がボロッボロでも、お客さんは大喜びである。知人が以前、渡さんのライブへ行った際、渡さんが電車で寝過ごしてしまい大遅刻してきたという話も聞いた。

 

ヤギに育てられた

いやいや、もののけ姫か。これに関しては半分本当と言うべきだろう。

月足らずの子供で、母の乳を受け付けず吐いていたそうだ。しまいには医者にも見放され、それで家にいたヤギの乳を飲ませたところ、だんだん元気になっていったという。

だから僕が育ったのはヤギの乳のおかげである。生みの母は人間、育ての母はヤギというわけだ。

- 「バーボン・ストリート・ブルース(高田渡著)」より -

沖縄へ行くとヤギ料理を振舞われるが、それだけは固くお断りしていたとのこと。

 

死ぬまで歌い続けた

僕は、死ぬまで歌い続けるのが歌い手だと思っている。歌わなくなったときが終わりだ。

- 「バーボン・ストリート・ブルース(高田渡著)」より -

 

高田渡は、文字通り死ぬまで歌い続けた。2005年4月3日、北海道でのライブ後に入院。4月16日に永眠した。そう、昨日は渡さんの命日だった。

最後のライブ、映像が残っている。これによると、当日は40度近い熱があったそうだ。

 

おわりに

わたしも初めて高田渡を知ったとき、こんな男がいたのかと衝撃を受けた。大好きなシンガーだ。

一度も生でライブを観られなかったのが、本当に悔やまれる。あなたにも渡さんの魅力が、少しでも伝われば幸いである。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)