「何を書かないかが重要」いしわたり淳治が作詞を語る

先日、作詞について少し考える機会があった。

参照:作詞とは矛盾とひたすらに向き合う作業なのかもしれない

とそこへ、タイミングよくプロの作詞家の言葉が入ってきた。最新刊の雑誌「SWITCH」である。

 

J-POPは何処へ行く?」という興味深い特集が組まれており、きゃりーぱみゅぱみゅやtofubeats、いま話題のDAOKO、果てはマキタスポーツにまで取材するという本気っぷりだ。最後には秋元康のロングインタビューも載っている。

この中から今回紹介するのは、元SUPERCARのメンバーで、いまは作詞家・プロデューサーとして活動中のいしわたり淳治さんへの取材である。名前を知らない人も、Superflyの「愛をこめて花束を」の共同作詞者といえばピンとくるだろうか。

 

「何を書かないか」が重要

さっそく、いしわたりさんの言葉を引用させてもらう。

時代の変化に応じて、歌詞の傾向も変化していきますが、僕は、歌詞は「棚」のようなものだと常々思っていて。

人は音楽を聴く時、その曲に自分の感情を仕舞いたいんですよね。歌詞の中にアーティストの個人的な経験や感情がパンパンに詰まっていたら、聴き手は居心地が悪くなってしまう

歌詞を書く時に、多くの人は「何を書くか」ということに意識が向きがちだけど、人の心に響くような歌詞を作るためには、むしろ「何を書かないか」が重要だと思います。

余計なものをどんどん引き算していって、聴き手が感情を仕舞える棚の数や種類を増やしていきながら、でもしっかりと奥行きのある物語が成立している。自分自身もそういう歌詞を書くことを目指しています。

 

歌詞=感情を仕舞う棚。リスナーに響く作詞について、考え尽くしている人でないと出てこない表現ではないだろうか。

 

棚を作る=共感させる、ではない

わたしが特に面白いと思ったのが、リスナーは「自分の感情を仕舞いたい」と思っている、という表現である。

安易に共感できる歌詞を書いてもダメだということを、わかった上での発言なのだと思う。

例えば気分が落ちている時に、アッパーな曲を聴くこともあれば、そうでないこともある。応援してくれる様な歌詞を聴くこともあれば、そうでないこともある。こればっかりは、人によっても曲によっても、シチュエーションによっても違ってくるものだ。

 

上の引用では直接言っていないが、プロの作詞家ならば当然「より多くの」人に歌詞を響かせる必要があるだろう。

そのためにどうするか。特定の感情に特化させるのではなく、リスナーが各々の感情を仕舞える様な歌詞にするべき、ということではないだろうか。

 

プロとして感情を込め過ぎないということ

また、「個人的な経験や感情がパンパンに詰まっていたら、聴き手は居心地が悪くなってしまう」という言葉。

これは、以前紹介した久石譲さんの「気分は完成の主軸ではない」という言葉に通ずるものがある。

参照:感性とはなんなのか|久石譲著『感動をつくれますか?』

いしわたりさんの言葉は、あくまで聴き手を考えての発言だが、プロとして活動する以上はコンスタントに表現をし続ける必要がある

そのためにも、やはり「歌詞に感情を詰め過ぎない」という考え方は、当然なのかもしれない。

 

おわりに

わたしは長い間ギタリストとして活動していたため、作詞についてはここ数年のみの経験値しかない。ぺーぺーである。

引き続き、自分のための勉強・備忘録もかねて、作詞について考えながらこのブログにも書いていこうと思う。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)