ジブリ建物展の図録を読んで、作詞は矛盾と向き合う作業なのだと思った

3/15をもって、惜しくも終了してしまったジブリの立体建造物展。

5回は行きたかったんですが、残念ながら2回しか足を運べませんでした。

ところで、名残惜しさのあまり購入した「ジブリの立体建造物展 図録」を見ていると、面白いことに気付きました。

宮さん(宮﨑駿氏)がものづくりについて、先日紹介した久石譲さんと全く同じことを言っていたんです。

 

ものづくりはカオス状態で向き合っていくこと

以前紹介した通り、久石さんは「ものをつくるということは、自分の中にあるものをすべてひっくるめたカオス状態の中で向き合っていくこと」だと、著書の中で語っています。

感性とはなんなのか|久石譲著『感動をつくれますか?』

宮さんも、図録の巻末にある建築家の藤森さんとの対談で同じことを言っているんです。気付いたときは笑いました。紹介しますね。

藤森 僕も建物を設計するときに、理路整然とやってるわけじゃないんです。自分がいまやっていることで一番大事なことは、自分でもよくわかっていない。何かそのときどきで、やりたいことをやるという感じで。

宮崎 まったくそのとおりで、どこへ行くのか自分でもわかっていないんですよ。予定通りにやっていると嫌になってくるんです。

(中略)

藤森 でも僕は学者でもあるので、自分のやっていることを言葉で説明しなきゃいけないときがあるんです(笑)。(中略)ものをつくるとか新しいことを考えるというのは、自然現象でいえば「発酵」なんだと。よくわからないままやっていくと、発酵してできあがるものなんです。でも、言葉というのは光で、抽象的なものだから、それは素晴らしいものなんだけれど、殺菌力も強いんですよ。

宮崎 殺菌力ね。なるほど。

藤森 発酵中に太陽の光を当てれば、菌がみんな死んでしまう。つまり、言葉で説明してしまうとダメになってしまう。だから「いまやっていることを言語化しません」と言うことにしたんです。

宮崎 それは言い得て妙ですね。混沌としているんですよね。カオスのなかにいる。

宮﨑駿と久石譲。さすがは長年、二人三脚で名作を生み出し続けた二人です。それとも、トップレベルで活躍する作り手はみな、同じ感覚を抱いているのでしょうか。

何にせよ、この二人が"ものづくり"というものを全く同じ言葉で説明していることが面白いなと。そして、ファンとしては何だか嬉しくもあります。

 

言葉を扱う「作詞」の難しさ

ところで、先ほどの引用部分で藤森さんが「言葉で説明してしまうとダメになる」と語っていますね。

ということは、実は「作詞」という作業には、大きな矛盾があるのではないか。そんなことを考えました。

 

言葉で説明するとダメになるもの。言葉で説明しづらい混沌としたもの。それは作詞において表現したいものの一つに、間違いなく含まれています。

ですが作詞においては、それらを「言葉」で表現しなければいけません。たとえ直接的に言わなくとも、隠喩だろうが行間に忍ばせようが、表現するために使える道具は「言葉」しかない。

作詞というのは、この矛盾とひたすらに向き合う作業なのではないでしょうか。

 

近年、ヒットソングの歌詞がつまらなくなったと言われる風潮があります。安易でストレートすぎるとか、「共感できる」と言われやすい歌詞ばかりであるとか、そんな声が聞こえてきますよね。

けれども、決してストレートな言い方、分かりやすい言い方自体が悪い訳ではないのかも。

その詞を作る工程において、上記の様な矛盾とどう向き合ったか。これが重要なのではないかと、今回考えさせられました。

 

おわりに

やはりトップレベルの人たちの言葉は、非常に考えさせられ、糧になります。

カオスの底まで潜り、矛盾とも向き合いながら、真摯にものづくりをしたいものです。でも、あくまで軽やかでありたい。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!