感性とはなんなのか|久石譲著『感動をつくれますか?』

あなたは「感性」の正体を知ってますか?

どうにもぼんやりしがちな、この「感性」というもの。音楽屋であるわたしにとっても、決して無視できません。

これについて、わたしが尊敬する久石譲さんが、自身の著書で詳細に触れていました。

この本から少し紹介しつつ、感性というものについて今一度、考えてみようと思います。

 

"気分"を感性の主軸にするのは危うい

久石さんが作曲家として最も優先することは、「とにかく曲を書きつづけること」だといいます。

一生に一曲なら、誰でも名曲が作れる。優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことであり、それができてこそ作曲家と名乗って生きていけるのだと。

そして、その上で重要なのが「気分を重視しないこと」だと考えているそうで。

コンスタントにあるレベル以上の曲をたくさんつくりつづけていくためには、その時々の自分の気持ちに依存しないことだと僕は考えている。
(中略)
そのコンディションに身を任せてしまうと、いいことがあると気分が高まっていいものが書けそうな気がし、逆に気分が乗らなければ書けない、ということになる。何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういことだ。
(中略)
気分は感性の主軸ではない。そこを誤解してはいけないと思う。

これは正直、意外でした。ご存知の通り久石さんは、映画音楽の仕事なんかも多いですよね。

特にそういった仕事においては、絵コンテを見たりしながら「お客さんが映画を観た時に感じる気持ち」を自分の気持ちにシフトさせ、その上で音楽を作るものかと思っていました。

ですが、どうやら真逆な様です。自分の気持ち・気分は重視しない。「映画を観た時に感じる気持ち」を無視している訳ではないと思いますが、それをあくまで客観視したままで作曲している

 

感性=論理的思考+感覚的ひらめき

そもそも感性とはなんなのか。久石さんは「作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する」といいます。

その"論理的思考"の基になるのは、自分の中にある知識や体験などの集積であり、そして「感性」の95%くらいは実はこれらなのではないかと。

ただ、当然ながら"感覚的ひらめき"が重要でない、という話ではありません。

つまり、その論理性に基づいて思考していけば、あるレベルに達するものはいつでもできるはずだということになる。気分が乗った乗らないという次元に関係なく、きちんと仕事をしたらしたなりの成果を上げられる。

だが、問題はそれさえあればものづくりができる、作曲ができるということではないところだ。肝心な要素は、残りの五パーセントの中にある。それが作り手のセンス。感覚的ひらめきである。

創作にオリジナリティを与えるその人ならではのスパイスのようなもの。これこそが”創造力の肝”だ。

久石さんは、「感性を磨けばいい作品ができる」といったぼんやりしたことは言いません。感性のうち、たった5%の部分が作品を決める"創造力の肝"であると。

これをつかむのは簡単ではありません。久石さん自身も、ここで日々苦しんでいるとのこと。

 

ひらめきは必ずしも降ってくる訳ではない

"感覚的ひらめき"というと、なにかが神の啓示の様に降ってくることをイメージしがちですよね。ですが、必ずしもそうではないんです。

ところが、もっと突き詰めていけば、その直感を磨いているのも、実は自分の過去の体験である。

ものをつくるということは、ここからここまでは論理性でここからが独自の感覚だと割り切れるようなものではなくて、自分の中にあるものをすべてひっくるめたカオス状態の中で向き合っていくことだ。

ひらめきは、自分の外からやってくるのではないんです。ひらめきのヒント・ネタも、突き詰めれば結局自分の中にある

また、作ろうとしてまだ頭で考えてしまっている内は、このひらめきも鈍いといいます。もっと自分の中にあるものがごちゃまぜに、カオスになった状態の時の方が、優れたひらめきが飛び出てきやすいのだと。

 

カオス状態に入る訓練も必要

わたしは現在一人で活動しているので、一から自分で曲を作ります。ある意味、自分の好きな様に作ることができる。

けれども、以前バンドでリードギターを弾いていたときは、作曲者が別にいました。そして、その作曲者からの注文を受けて、ギターアレンジ案を考えるという作業が主でした。

久石さんは、依頼主からの仕事を受けて作曲することが多いです。わたしに照らし合わせると、どちらかといえば後者=バンドのギター時代に近い。

これを踏まえて、バンド時代のことを思い返してみるに、ここまで紹介した久石さんの"感性論"に加えて「カオス状態に入る訓練」が必要であると思います。

 

いくら自分の中に様々なインプットがあっても、そう簡単に優れたひらめきは出てきません。久石さんも言う様に、カオスな状態に入り込むことが必要なんです。

そして、わたしの経験から言うと、このカオスの状態に入ること自体も簡単ではないんです。

かといって、なにか画期的な訓練がある訳ではありません。不慣れな者がカオス状態に入るには、まずはとにかく数をこなすしかない。訓練だと思って、場数を踏むしかない。

誰かに依頼されてその成果物をひねり出す、という作業を一つでも多く経験すること。これしかありません。するとやがて、"感覚的ひらめき"が出てくるまでの時間が短くなっていく

 

久石さんがこの訓練の必要性に触れていないのは、氏がすでにおびただしい数の曲を作ってきたからだと思います。カオス状態に入ることに対しては、もう難しさを感じていないのでしょう。

ですが、ほとんどの人は久石さんほど場数を踏んでいないはず。まずはひらめきの一歩手前、カオスに入る訓練を積むことが必要なんです。

 

おわりに

久石さんの様な、音楽家の中でも特に「感性」というものに敏感そうな方の分析。ほんの一部の引用ですが、その面白さが伝われば幸いです。

こんな話もあったので、最後に紹介しておきます。

日本人は、漠然としたイメージだけで「感性」という言葉を大事にしすぎているように思う。何かわからないながらも、とにかく大事にしなくてはいけないと包み込んで棚に上げて祀ってしまい、結局、みんなその実体がわからないままになっている、そんな感じがある。

この本、タイトルでピンときた人はもれなく読んだ方がいいですよ。かなりオススメです。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!