【演劇】キ上の空論#3 『金曜日、白井家の場合 ~せいのでインを踏め!~』

新宿眼科画廊
さて、今回は珍しく観劇レポートである。

近年、快進撃をみせる劇団「リジッター企画」の脚本・演出を手がける中島庸介によって、2013年12月に旗揚げされた『キ上の空論』。その第3作目『金曜日、白井家の場合 ~せいのでインを踏め!~』を観た。

前作「赤い下着、覗くその向こう側、赤の歪み」も昨年5月に観たので、比較もしながらレポートしていこう。

 

パズルを楽しむ

まず特筆すべきは、パズルの様な演出だろう。

前作、今作ともに序盤は、一見してなんのことかわからない場面が散りばめられる。そして、物語が進むにつれ、その意味が見えてくるのだ。

この、パズルのピースがはまっていく独特の快感はクセになる。なかなか中毒性が高い。

 

演者が一人で話しているが、聞くと明らかに誰かと会話している。相手は誰なのか、相手はなんと言っているのか。今はまだわからない。

そして、後に意味がわかってみると、それは思いもよらないものだったりする。

また、全く違う空間にいるはずの2組が、それぞれ会話している。ふと、その言葉がリンクする。さらには、それぞれ別の軸を歩いていたはずの2人が、それぞれ別の事件が原因で同じ感情を抱いたりする。

同じ空間にいる訳ではない、繋がるはずのない人々が、ほんの一言や一瞬の感情で繋がる。不思議な瞬間だ。

こんな風に、目の前に突然パズルがばらまかれ、どうしたらいいかわからず戸惑っていると、演者たちが入り乱れてピースを拾い上げ、あっという間にパズルが完成する。あっけにとられる。

そう、パズルの組み立てに気をとられていると、あっという間に物語は終わってしまうのだ。

 

そして、今作はそんなパズルの演出が、前回よりも分かりやすくなっていた

前作は正直、混乱した。それはそれで心地いいのだが、パズルに翻弄された。今作も同じ様にパズルが組立っていったが、かなり分かりやすく、観やすくなった。

それは単にわかりやすくなった、といったものではなく、ピースのばらまき方とその組み立て方が上手くなった、という印象だった。

 

時系列を捨てる

そんなパズル演出を成立させているのが、目まぐるしい場面転換である。

パズル形式なので、ひとつひとつの場面が短い。それらが、観客に考える暇を与えず展開される。まるでテレビのチャンネルを、無作為に変えまくっている様だ。

しかも、時系列さえバラバラなのである。時間の流れに沿って観させてくれない。

 

これは過去の場面か、未来の場面か。そんなことを考えようとするのだが、そもそも時系列がバラバラなのでわからなくなる。

バラバラだから、観客が時系列を考えるための「基準」自体がない。基準がなければ、過去も未来もなくなる。

どれだけ場面が変わろうとも、いま目の前にあるその場面が常に「現在」になる

 

するとやがて、考えることを放棄する。ただ目の前の物語に身を任せる。

にもかかわらず、最後にはストン、と腑に落ちる。全部が繋がるのである。

今作は少し短め(1時間10分)だったが、2時間ほどあった前作でも、それは同じだった。こちらが必死に追いかけずとも、最後には納得させてくれる。

これだけ時系列を無視しても成立するのか!と、これにはただ驚かされる。綿密な演出、的確な演技の為せる技だろう。もはや職人芸だ。

 

言葉遊びの面白さ

キ上の空論「金曜日、白井家の場合」
そんな職人芸を成立させながらも今回、キ上の空論は大胆なスパイスを取り入れた。ラップである。

演劇にラップ。奇をてらっただけ、と思うだろうか。実はこれこそが、キ上の空論の真骨頂とも言うべき部分なのだ。団体紹介には、こう書かれている。

言葉遊びや、韻踏み、擬音の羅列や呼吸の強弱など、会話から不意に生まれる特有のリズム『音楽的言語(造語)』を手法に、ありそうでない『日常』をつづる。

- CoRich舞台芸術!より -

お分かりいただけただろうか。彼らがラップを取り入れたとて、なにも不思議はないのである。

 

だが、わたしが言いたいのは「ラップがすごかった」ということではない。いや、確かにすごかったのだが。

驚いたのは、それ以外の普通のセリフにおいての韻踏み、言葉遊びが、前作より格段に面白くなっていたということである。

そのおかげで、ラップはあくまでスパイスにとどまっていた(いい意味で)。決して、ラップが演劇を食うことはなかった。

むしろ、ラップが入らないであろう今後の作品へ、期待感が高まる。団体が旗揚げからかかげる「音楽的言語」が、どんな成長を見せるのか。次回作も楽しみである。

 

メッセージの使い方

前述した様に、キ上の空論を立ち上げた中島氏はリジッター企画でも活躍する脚本、演出家である。

わたしはどちらの作品も観たが、それぞれの作品における「メッセージの使い方」の違いが面白かった。

 

リジッター企画においては、メッセージは「伝えるもの」として扱われている。作品、演劇を通して、メッセージが伝わってくる。

一方キ上の空論では、メッセージは「勝手ににじみ出るもの」になっている。

いや、むしろ意識的にはメッセージを込めていないのかもしれない。込めていないつもりが、結果として多少盛り込まれてしまって、それがにじみ出る。そんな印象だ。

 

どちらがいいという話をするつもりはない。ただ、同じ人物が作り演出する作品において、こうも違うのは面白い。

ただ作りたい様に作るのではなく、狙いを定めて作られているのだろう。先ほども、綿密な演出と的確な演技、という話をした。

案外、演劇を作るというのは頭脳プレーなのかもしれない。エンターテイメントを作るには、芸術家ぶって感情のおもむくままに作るのでは駄目なのだ。音楽にも通ずるものがある。

 

おわりに

今作は今日(2/18)が最終日なので、ほとんど宣伝にもならず申し訳ないが、これを読んで気になった方は是非、次回に期待してほしい。

キ上の空論、リジッター企画ともに、次の公演も決定している。演劇なんか観たことない!という方こそ、行ってみてはどうだろうか。わたしもリジッターが初観劇だった。忘れられない。

さよならを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、ぼくはなんて幸せなんだろう。さようなら!

 

 

煤渡(@sswtr_in_cafe)

キ上の空論
2013年12月旗揚。リジッター企画中島庸介の別ユニット。言葉遊びや、韻踏み、擬音の羅列や呼吸の強弱など、会話から不意に生まれる特有のリズム『音楽的言語(造語)』を手法に、ありそうでない『日常』をつづる。
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キ上の空論#4
『東京・虹子、七つの後悔(仮)』
【場所】
三鷹市芸術文化センター・星のホール
【期間】
2015年9月3日(木)~13日(日)
【企画】
(公財)三鷹市芸術文化振興財団 主催
MITAKA"Next"Selection 16th

リジッター企画
2009年8月、岐阜・名古屋でともに活動していた馬渕史香(主宰)と中島庸介(脚本・演出)によって結成。
2011年、舞踏家の森脇洋平(身体演出)が加入し、現在の作風に至る。
中島の書く『言葉』と、森脇の『身体』を織り交ぜて魅せる、舞台でしかできない表現にこだわっている。
抽象的な舞台美術の中での、中島の詩的な台詞表現と、それを体現した群舞によって生まれる、小気味よいテンポのブラックファンタジー。
また、森脇自身が踊るインプロ要素を含んだダンスが物語の要となっている。
近年では、音楽に合わせて『言葉』を畳み掛ける手法を取り入れたり、2013年に上演した「でんでんむしのからのなか」ではミュージシャンとコラボしたオリジナル主題歌が話題となった。
その独特な世界観から、ミュージシャンや芸人、漫画家など、様々な分野で活躍するアーティストからの支持を多く集めている。
MAIL:[email protected]
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リジッター企画 第十二攻撃
『誰がための笛は鳴る』
【場所】
吉祥寺シアター
【期間】
2015年5月8日(金)〜18日(月)
詳細はこちら